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南相馬にて5

29日、GW初日。

午前8時半、鹿島区VC前は黒山の人だかり!
・・・と、まではいかないものの、
昨日と比べれば雲泥の差。
ブログによると230名以上だったそうです。
外国の方もいらっしゃったり、女性もすごく多い、
昨日同じ現場で知り合った仲間の顔も見える。

太陽は今日もサンサンと大地を照らす。
数年前から、植樹が盛んだと言う
菜の花の黄色がとても美しい。
菜の花は、土壌中のセシウムとストロンチウムを
吸収する能力が最も高いといわれてるんですって。

数年後、向日葵と菜の花でいっぱいの
美しい黄色の街に生まれ変わる事でしょう。
チャリンコ持って来なくちゃな。


この日の現場は昨日の倍の人数で臨む、
幼稚園の園長先生のお宅。
庭全体がワラ&汚泥に覆われている状態。酷い。。
このお宅は床ギリギリまで水は押し寄せたものの、
それ以上は上がらなかったとおしゃっていました。
しかし、15mほど海方面へ歩くと、
そこには、船、船、船、船。
ざっと見渡しても、10隻以上の漁船が腹を見せて横たわる。
壮絶な景色が言葉をむしりとる。

何も考えず、スコップをヘドロに差し込む。
差し込む。差し込む。差し込む。
やっぱり、ここへ来ても無力さだけが
ますます露呈するだけで・・
本当に空しかった。

声を掛け合いながら作業する仲間も
そう思っているのだろうか。。

前の日に静岡からひとり電車とバスを乗り継ぎ
やって来た若者は
『テレビとか新聞の取材受けたいっす!』
と言って、ニコッと笑う。
埼玉から6人を連れてやって来たおじさんは、
活動中の写真を撮りまくってる。
オレの中に何があってここまで来たのかは
未だに分からない。
あの日、テレビから流れた非現実的な映像が
現実である事を刻み付けたかった。
刻み付けておきたかった。のかもしれない・・
同じ時代を生きた一人として、一匹のアリンコとしてね。。


30日、午前零時過ぎ、首都高川口線料金所。
南相馬総合庁舎で帰りがけに発行してもらった、
ボランティア高速道路代金免除の書類を職員に手渡す。
職員はそれを見て、ただ一言
『ご苦労様です。』と言って深々と頭を下げた。

胸が熱くなった。
涙をこらえた。

隣りでハンドルを握る幼なじみが鼻をすする。


東京の無数の広がる明かりを見ながら
作家、伊集院静さんのツイートを思い出していた。

「頑張ろう!の掛け声はいらない。偽善でいい。
現場に行ってガレキの一個、二個を運んでみろ、汗が出る。
それが復興だよ」






長々と書いてしまいました。
最後まで読んで下さった皆さんありがとう!
書いとかないとさ、5/7のトロライブは
MCだけで終わってちゃいそうだったからね(^з^)
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南相馬にて4

ボランティア活動の制限について、今回初めて知りました。

『活動場所は個人の生活圏に限られる』ということ。
裏庭の泥かきはやっていいけど、
畑の泥かきはやってはいけない。
要するに、営利目的の場所では
活動出来ないということです。
したがって、泥まみれになった事務所、店舗、田畑、
工場などは持ち主が業者に頼むしか復旧の術がありません。

理屈は非常によくわかりますが・・

復興には経済活動のための場所が、機能を取り戻す事、
それが何よりも大事な気がするのはオレだけでしょうか・・

特例として、汚泥のかき出しのみの作業ならOKにするとか、
安全を担保できる軽作業なら10人までいいよ、とか。

行政の柔軟な対応を期待せずにはいられません。



VCに戻り、道具を所定の位置に戻します。
リーダーからお疲れ様の号令があり、
その日の作業は終わります。

さてさて、我々は宿探しですよ。
今夜も車でもいいか、と思っていると、壁に
『4/29より西地区集会所を解放します。
布団はありませんが・・』と言う張り紙。
さっそくスタッフの方に聞いてみると
15人までを泊めて頂けるとの事。雨といい、宿といい、
ラッキーズな我々。神社参りがきいてんですかね。

4時からVC内のお風呂も使わせて頂きました。
立派なお風呂です。

西地区集会所泊まりチームのリーダーとなったのはオレ。
といっても、やる事はゴミの管理と、戸締まり。

宿も決まり、風呂も入り、あとはメシ食って寝るだけ。

ディナーは相馬味噌を使ったラーメン。
とてもまいう~でした!
500ml、ちょっと贅沢に一番搾りを買って
集会場に戻りんぐ。
飲み終わらないうちに、やさしい眠りが訪れたとさ。
ちょっともったいなかったけど。





あ、髪切りに行ってきます。
つづきはあとで!

南相馬にて3

28日、午前8時半、鹿島区のVCの前には
30人くらいの人がワサワサ。

普段は福祉サービスセンターとして使っている建物。
ボランティアへの登録はいたって簡単、
登録用紙に住所氏名年、健康状態、生年月日などを記入。
初めてのときはボランティア保険に入っていない、
にチェック、自動的に保険にも加入出来る。

続いて、名札を書いて、帽子を貰う。

登録は以上!2日目以降も手続きは同じ。あ、
ボランティア保険は入っている、にチェックね。

因に、お茶、コーヒーは自由に頂けます。
水、ポカリなどの支援物資もたっぷりあります。

スコップ、クワ、ネコ、バケツ、などの道具は
全てあります。軍手、ゴム手、マスクも揃っています。
なので、長靴だけ自分の足にあったものを
用意すればOK!!実は長靴もあるにはあったのですが、
足場の悪い現場です、借りるより、自前の方がいいと。
鉄の中敷など入れるのもよし。

登録を済ませて待っていると、
マッチングという作業が始まります。
個人宅からの要望書に合わせて人数を振り分ける、
ま、チーム分けですね。例えば、
『山田さんのお宅、裏庭の泥かき、4人チームが5組、
計20人必要です。』とVCの職員が読み上げる。
すると、ボランティアは『ハーイ、行きまーす!』
と手を上げる。早いもん順ですね。
従って、一緒に来たもの同士がちゃんと同じ現場に
行く事が出来ます。あとはリーダーを決めて現場へ。

我々が出向いたのは、海岸線から3キロ地点の
遠藤さんというお宅。

あ、そうそう、今回一緒に行ったのは幼なじみの林さん、
中国語の達人。震災前にキャンプの約束をしてたんだけど、
そんな気分にもなれず、だったら!
つーことで急遽ボランティアに変更したわけです。

海岸線から3キロ遠藤さん家は1メートル80センチの
水が押し寄せました。
今でも塀には水の跡がくっきり残ってます。
遠藤さんの家の前から臨む景色は壮絶でした。
1軒の家も無く、瓦礫に囲まれて、
忘れ去られたかのようにボロボロになった
小さな神社がポツンと佇んでおりました。
言葉がでませんでした。

総勢10名で臨んだ我々の作業は
庭一面を覆い尽くした汚泥の処理。

汚泥の正体はテレビで何度も何度も流された
あの『黒い波』です。
海水を含んだ砂がワラと混じり粘り気のある
粘土質の重い土になってへばりついてるんです。

ひたすらクワでほぐし、スコップで一輪車へ、
堪ったら家の外へ積み上げる
家の外のドブにもたっぷり堪ってるのでそれも掻い出す。
果てしなく思われた作業もみんなで力を合わせれば
終わるもんです。



つづくんだな。



南相馬にて2

27日、午前零時をとっくに回っていたので、28日。
国道6号線沿いに相馬の「道の駅」を発見。
「道の駅」とは一般道のサーブスエリアみたいなもの。

ここならトイレは使い放題、近くにセブンもある。
トラックのアイドリングの音がちょっと気になるけど
贅沢は言ってられないんだな。

周りを見渡すとボランティアらしきフロントガラスを
白く曇らせた車がちらほら、15台くらいだったかな。

天気予報は夜から雨だと言っていたのに、
いっこうに降る気配無し・・・
気温も高く過ごしやすい。

スキーウェア上下をガッツリ着込み
シートをいっぱいに倒した。

朝夜逆転期間中につき、とうとうこれといった眠りには
巡り会えないまま空が少しだけ色を見せた。
すると、ゴロゴロ、ゴロゴロ、空が唸りを上げると
大粒の雨が車の屋根を叩き始めた。

やっぱりね。。

朝9時の時点で雨が降っていたら、小雨でも霧雨でもね、
その日の作業は中止と聞いていたので、あ~あな気分。
さらに眠りには見放された。

朝7時の目覚ましが鳴る。外は依然激しい雨。。
車を降りるのは怖かった。
トイレにも行けずに刻々と時間だけが経って行く。
すると北の空の下の方に少しだけ青いとこが出てきた。
それから1時間で急激に雨は弱まり、
8時にはサンサンと太陽が降り注いだ。なんとも強運。
東京を出る時、地元の神社にお参りしておいてよかったス。

セブンで朝メシと昼メシを買い込む。
松岡さんからの情報で、昼メシは買って行かないといけない
と、聞いていたので、おにぎりを大目にゲット。
もちろん選り好みするような数はなかった。

8時半鹿島区のVC(ボランティアセンター)到着。



おっと、トロロ塾の時間だ!
続きは帰って来てから。

南相馬にて1

東京の電気を作り続けてた地域が苦しんでる。

10キロ県内でも0.3マイクロシーベルトの場所だってある。

しかし原発から31キロ離れた、
鹿島区ボランティアセンター近辺。
コンビニの雑誌コーナー、冷蔵庫、おべんとおにぎり、
菓子パンの棚は隙間だらけ。
郵便業務、宅急便は1週間前に復活したという有様。


南相馬合同庁舎、昨日午後5時、ボランティアは
帰りの高速代金を免除されるとの情報をゲット、
書類を持って立ち寄った。

廊下に並べられた椅子に座る、印籠を貰うための待ち時間。
目の前にはモニタリング室と書いてある、
ガラス戸が段ボールで目隠しされている部屋。
「午後5時、線量0.52マイクロシーベルトです。」
携帯電話に向かって、怒鳴り気味な口調でツバを
飛ばしながら出てきた職員が廊下の突き当たり
『災害対策本部』と書かれた扉に消えた。


東京が0.08くらいか。。6倍つーことですな。

たかが6倍、されど6倍つーことですな。。

命に関わる話しですからね。


でも、そこにも生命はあるわけです。


実はあまり深く考えず、足りないとこへ行くべし!
と、思いたって行動した今回のボランティア。

東京に住む20歳以上健康な成人が2日ずつ
外でする作業を交代するとしたら、
住んでる人の、ちょっぴりシーベルトを
いや、随分シーベルトを軽減出来るみたいな
そんな事だと思うんです。

実際そんな単純な話しでもないのでしょうけど・・

私たち東京人の思い出の中には、
いつでも煌煌とした灯りがあります。
それを作りつづけてくれた土地、人、空。。


相馬市に入ったのは27日午後8時。
相馬に1泊して、翌朝南相馬に入べくホテル探し。
当初、キャンプを張る予定だったんですが
センターに問い合わせたところ、
放射能の影響で禁止しているとの事。

しかーし、市内に4つの宿泊施設はどこも満杯。
フロントで話を聞くと、

1.南相馬にある火力発電所復旧の工事の方
2.仮設住宅設置の工事の方
3.医療関係の方

で1~2ヶ月先までいっぱいらしい。
凄く大切な作業に従事している方々ばかりです。

もう1つ得た情報として、南相馬の先、
前日計画的避難区域になった原町という街にある
「たかみ」というホテルがやっているはず....とのこと。
一縷の望みをかけて6号線を南下。
相馬から南相馬へはこの国道6号線を下るわけです、
そのまま進むともちろん福島第一原発にぶち当たります。

20分近く走る真っ暗闇の一本道、殆ど車も走っていない、
すれ違うのはパトカーくらい。

さすがに、恐怖しました。とてつもなく大きな闇。

すると突然、左の視界に大きな船の船首が飛び込む。
ほのかな灯りで暗闇に浮かび上がるそれに目を疑う。
あたりを見渡すと瓦礫の山、山、山。

もうそれ以上先には進めなかった、怖くてね。

あとから知ったんだけど6号線上で酷いのはその地域だけで
そこを越えるとまた普通の道になる。

なんせ、最初の日だからね、所謂1つのビビったわけです。

どこかしら空いてると高を括ったオレのミステイク。ま、
薄々予想はしていたけれど、これで車中泊という選択肢しか
ナッシングなわけで、、

その前に腹ごしらえ、相馬駅周辺まで戻りました。
予想以上にお店開いてます。殆ど問題なし!
酢豚定食を食し、寝る場所場所探し。


ふぅ~、ちょっと疲れたので続きはあとで。

南相馬へGO!!

今日から2泊3日で南相馬鹿島区へ行ってきます。
原発に近いとあってボランティアの数が
非常に少ないと聞いています。
アリンコ一匹行ったところでどうなる訳でもないとは
思いますが、長靴&防塵マスクで汗かく気満々です。

心配なのは天気、今夜から雨降りみたいだし・・
雨だと作業が出来ないようなので、
テルテルさんに祈るばかりです。

では行ってきます。
110427.jpg
プロフィール

ヒルマ弘

Author:ヒルマ弘
ザ・トロフィーズ
ギターボーカル
今年中には外岩デビュー!
目指せ4級オンサイト!

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